100万回生きたねこ
【100万回生きたねこ】についての感想
先ほど中田敦彦さんがユーチューブにて、「100万回生きたねこ」の解説をしてくださっていた動画を見た。
中田敦彦『【100万回生きたねこ】235万人が涙したロングセラー絵本(The Cat That Lived a Million Times)』リンク↓
あっちゃんの話の最後の一文を聞いた時、思いっきり泣いた。
しかし、それはあっちゃんとは違う理由で。
猫は100万回生き、その度飼い主を嫌っていたが、最後には白い猫に恋に落ちてその一生を終え、その後行き帰ることはなかった。
彼は『自分よりも大事な者ができる人生は永遠の命よりも遥かに尊い』という解釈の元、話を進行していた。
もちろん誰かを初めて愛し、幾度となく生き返ることよりも遥かに尊いとは思った。
しかし、私がすぐに感じたことは「その猫の魂はやっと目的を達成し、生き返る必要がなくなった」と解釈した。
我々日本人は魂の生き返りを信じるが、何故生まれ変わるのかと考えたことがあるだろうか。
一人一人生まれながらにその人生のテーマを持っているからだ。
この猫を囲っていたその他猫の様に、我々もまた前世の記憶を持って産まれて来る者は限りなく少ない。
100万回生きても、この猫の「誰かを愛する」という魂のミッションが達成できなく、やっと白い猫と出逢い、愛することを知り、探し求めた本当の幸せを見つけることができたので魂が成仏できたと思った。
実際のところ、本を読み解釈に「正解」は無く、皆それぞれ違う捉え方をしても良いと思う。
国語の授業で学ぶ「読解力」とやらも基本的には学ぶものでは無く、皆様々な解釈の仕方があるのでテストで何が正解かなんて決めるのはおかしい。日本ではこれを鍛え「相手」の気持ちを汲み取ろうとする余り、自主性が低下し、主張や意見、討論をする日本人が海外に比べ少ないのが現実です。
読書感想文も日本語力(漢字や文章)を点数付けするのは分かるが、先生が個人の意見も交えて点数が決まることで、子供が「決まった答え」を探し、良い点数を目指して書こうとする。
これらは発想力を阻むので個人的には採点方法を変える等の学業方針を変えてもらいたい。